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コー・ダリーン(Coeur d'Alene)は、アメリカ合衆国アイダホ州北西部に位置する都市。スポケーンの東約48km、シアトルの東約505km、ボイシの北約625kmに位置する。同市はクートニー郡の郡庁所在地である。かつては金や銀の鉱山で栄えた。近年では避暑地・リゾート地として高成長を遂げている。 コー・ダリーンはアイダホ州北西部最大の都市である。人口は44,137人(2010年国勢調査)。また、コー・ダリーンを中心とするコー・ダリーン都市圏は人口138,494人を抱え、州内ではボイシ都市圏に次ぐ人口規模を誇る。 市名は周辺に住むネイティブ・アメリカンのコー・ダリーン族(シー・チュー・ウムシュ族)に由来する。西部開拓時代、この地でネイティブ・アメリカンと取引をしていたフランス人たちは、彼らに「錐の心」という意味のフランス語である''Coeur d'Alene''という名をつけた。その意味するところは、「鋭い」「抜け目の無い」といったところであった、と言われている。 コー・ダリーンは、地元では''Lake City''(湖の街)という別名でよく呼ばれている。単に頭文字を取ってCDAと呼ばれることもある。 ==歴史== :''出典: アイダホ州コー・ダリーン ローカルコミュニティガイド'' 最初にこの地に住みついていたのはネイティブ・アメリカンのシー・チュー・ウムシュ族である。彼らは入植者たちがこの地にやってくる何千年も前から、アイダホ州北西部の山中や湖畔に住みついていた。やがてこの地にフランス人の入植者がやってきた。シー・チュー・ウムシュ族の抜け目の無い交易を目にした入植者たちは、彼らを「錐の心」という意味のフランス語で、コー・ダリーン(Coeur d'Alene)と呼んだ。やがてこの地にカトリック信仰が広がり、コー・ダリーン川の河岸に現在のカタルド・ミッション(Cataldo Mission)が建てられた。また、コー・ダリーン湖の南岸にも同様の布教施設が設けられた。 1862年には、この地に初めての交通路となるミュラン街道(Mullan Road)が開通した。この街道はその後半世紀にわたってアメリカ合衆国北西部を貫く主要な交通路であった。1877年、将軍ウィリアム・シャーマン(William Tecumseh Sherman)はこの地に軍事基地を設けることを提案した。フォート・シャーマン(Fort Sherman)と名付けられたこの基地に配属された軍人は米西戦争にも参加した。基地は1901年に閉鎖になった。 産業も栄えていった。とりわけこの地域を支えたのは鉱山であった。コー・ダリーン川の北岸では金の、ウォレス(Wallace)に近い山中の南側では銀の鉱脈がそれぞれ発見された。やがて合衆国北西部にノーザン・パシフィック鉄道が開通し、その支線がコー・ダリーンに通じ、コー・ダリーン湖に蒸気船が行き交うようになると、この地で採掘された金や銀はこれらの交通手段によって各地へと運ばれていくようになった。また、ワシントン州東部の主要都市で、鉄道の街であったスポケーンとの間にも電車が走っていた。 交通の発達は鉱業だけでなく、林業や観光業の発展ももたらした。1880年、フレデリック・ポスト(Frederick Post)はスポケーン川の河岸に製材所を設けた。1920年頃までには、林業関連の企業がこの地に集中するようになった。一方、コー・ダリーン湖畔や近隣のヘイデン湖(Heyden Lake)には、ホテル、小屋、キャンプ場の建設が進んでいった。 近年では鉱業や林業は廃れ、避暑地・リゾート地としての観光業がコー・ダリーンのメインの産業となっている。それに加え、小売業やサービス業、小工業も発展してきており、市は高成長を遂げている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コー・ダリーン (アイダホ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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